私達第38期は昭和20年3月旧制中学校を4年で卒業し,海軍主計科士官を目指し若き
血潮に燃えて満16才で同年4月に神戸の垂水に移転後の「海軍経理学校」に相集い、
入校した500名の同志であります。
私達3号生徒は僅か4ヶ月半でありましたがこの「垂水の丘」で教官そして1号・2号生徒
の薫陶を受け充実した生徒生活を送る事ができました。
戦後は各分野で我が国の復興に尽力し平成18年3月現在で全員が喜寿を迎えました。
昭和47年同期会として「海経三八会」を発足させ以降毎年全国総会を全国各地で実施し
同期生の絆を深めて参りました。
垂水の丘を無念の思いで別れて以来満60年の節目を迎え全国総会としては最後の総会
とする事になり、その総会が去る平成17年10月想い出の地「垂水」で1号生徒の36期と
合同クラス会として行われました。
第38期については岡光教官(38期指導教官)から何時もお話をいただいていますが最後
の三八会総会に於ける教官の挨拶を 次にご紹介します。
岡光教官の挨拶
(海経三八会会報より抜粋)

1、皆さんは昭和3年(早生まれは4年)、西暦1928年の生まれでありますので本年は
満77歳の「喜寿」という人生のまことに祝福すべき節目を迎えられました。
更に又本年は「日露戦争日本海海戦の100周年記念の年」に当たります。
二重の意義深い年である事を今後末永く銘記される事が望ましいと思います。
2、皆さんと旧海軍との接点は今から60年前の昭和20年4月垂水所在の海軍経理学校
生徒隊に第38期本科生徒として入校された事でありました。
そしてまたその事が皆さんと「期指導官」たる私との出会いでもありました。
皆さんは前年の昭和19年夏全国約15000人の志願者の中から約30分の1の狭き
入試を経て約500名を採用、全員4卒というユニークなクラスでありました。
3、皆さんの垂水に於ける在校期間は残念ながら僅か5ヶ月足らずでありましたがこの
間垂水を中心として風光明媚で有名な須磨、塩屋、舞子、明石の海岸、山野を短艇
訓練、水泳訓練、将又日曜外出時のクラブ活動や海岸及び山野跋渉等に活用し大い
に浩然の気を養われました。
4、戦後三八会の最も意義ある行事は昭和45年9月5日「東京12チャンネル」放映の
テレビ番組 「あゝ戦友、あゝ軍歌」に出演したことであります。
「最後の海軍経理学校本科生徒」 「海軍経理学校三八会」
というタイトルの出場でありました。
5、もう1つ最近の事として付け加えなければならない事は
「海経三八会の歌(垂水に想う)」の作成披露であります。
作詞、作曲は平成12年7月23日に他界された故島村宗和さんとその奥様みち子様
との共同発議及び三八会会員の見事な協力支援の結果出来上がったものであります。
更に平成15年秋の三八会会津若松大会で三八会として正式に制定そして平成16年
11月12日の浴恩会総会に於いて出席した三八会会員全員の斉唱により浴恩会出席
の皆様に披露され大変な好評を博しました。
私は誠に素晴らしいことであり陰ながら涙を催しました。
6、最後に結びとして一言申します。
生徒35期、36期、37期、そして皆さん三八期及び予科生徒(39期)に関係された
教官、期指導官は戦後60年を経た現在既に殆どの方が鬼籍に入られておられ
御生存の方は極めて稀少であります。
その稀少の中に一員として私は三八会の皆さん及び奥様方の心温まる親見のご支援
と下支えにより現在皆さんより9年先輩の86歳となりました。
私は残る人生を私なりに最後まで真摯に努力致します。皆さんもこれから先少なくても
10年は長い人生を精一杯強く、しかも柔らかく奥様共々生き抜いて下さい。
茲に壇を降りるに際し60年前に垂水でお会いして以来事ある毎に「海軍経理学校38
期指導官」の叫んできたモットーをもう1度申し上げることをお許し下さい。
@スマートで A目先が利いて B几帳面 C負けじ魂 これぞ38期
“ご機嫌よう。 ご健勝、ご多幸、ご長寿を祈ります“
平成17年10月16日 岡光吉彦
